めがでてふくらんで

 自分は議論がはっきりいえば好きです。というのも、それは自分の考えと相手の考えをすりあわせる行為だからです。議論を繰り返すことが自分だけでは気付けない視野や思想を広げてくれると思っているからこそ、俺は議論をします。ただ、確かに議論に興味のない人にそれを押し付けるのは問題だと反省中。自分の意見を誰かに言うということを、誰もが嫌いはしない行為であると思っていた俺の思い上がりですね。
 しかし、俺がかつて心理学部に入った理由はまあ色々ありましたが、一番の目的は「自分を知りたい」と思ったからでした。自分がどういう原理で動く、動きたがる人間なのかを解き明かす事が少しでも深くできれば、その分だけ俺は自分の思想と現実の乖離に悩まなくてすむと思ったからです。ですが今になっても俺はこういう、考えたってしょうがないことを考え続け、それを言葉に出そうとして失敗する人間になっています。そんな状況を人間らしくないといわれてさすがに腹は立ちましたが、でもある意味そのとおりなのかもしれませんね。思い切って言うと、俺の思考や思想は「現実の人」から離れすぎているのかもしれない。
 俺が一番嫌いなものは、「相手への敬意を全く持たない態度」だというのが今の俺の思想の中での一応の結論ではありますが、実際に俺が感じる感情として、はたしてその通りなのかは考えても考えても分かりません。考えなくてもいいことを考えない秘術みたいのはあるのだろうか。多分その秘術があっても理屈をこねだすのが俺というオチがついて、どうにもならない気はするが。
 ……まあとにかく、議論したくない人に長々しい理屈をふっかけるのはやめようということだけははっきりと思った。


 今日の図書館実習では館の近くの小学校に行って、図書館職員の方がブックトークをするのを見ていたのですが、1〜3年生くらいの子は素直でかわいいなぁ。本を出すと即座に反応してくれるし。思わず教員になりたいとか一瞬考えてしまうくらいかわいかった。でもこのかわいさは一体いつまでつづくのだろうとも思ってしまう。少なくとも中学二年のころにはなさそうだ。早ければ小5〜6あたりで俗に言う「小生意気なガキ」の集団だろうか。……反抗期とか万能感とかの状態がだいたいいつだったかよく覚えてない。
 しかしその中で読まれた絵本の一つで「うえきばちです」という絵本があったのだが、なんとうえきばちのかわりにのっぺらぼうをうえる、という驚きの本で、何故のっぺらぼうか、ただのナンセンス絵本で特に意味はないのか、などと思っていると「のっぺらぼうに水をやると『め』が出てきて『は』がはえて『はな』が現れました」という展開になったので思わず「なるほど」とか言いそうになってしまった。でも普通に感心したのでこのネタを何かに使えないかと思ったが……さすがにちょっと思いつかないなぁ。