俺はモーレツに感動しているぅっ!!

 この間ネット上である二次創作を呼んだのですが、それにひどく感動して、俺は呼んでる途中ボロボロと泣いた。ということなので、今回はちょっと「俺の涙腺が緩むストーリー」について語ってみようと思う。


 で、色々と考えた結果に思ったのは、どうやら俺は「自分自身にとっては苦痛である結末に向かう人と、その周りの人」が描かれたお話が非常にグッとくるらしい。「ある人」にはもはや決定した未来や結末があるのだけど、それを変えるためにあがき続ける「ある人」の姿は単純に好きだ。そして、それに「その結末にある人に干渉し、最後に見届ける人」という人物が加わると、例えその運命に挑んだ結果が失敗であれ……いや、そもそも「ある人」が結末を受け入れた生活をしていたとしても、それではいけないと諭そう、もしくは本心で諭したいとする人や、その道を否定し続けようとする人が「ある人」の周りにいて、「ある人」と重要な接触があれば、その話は個人的にはかなりの感動を与えてくれる話になる。
 その何がそこまでいいのかはよくわからないが、どのような経路であれ、「すでに決まっている結末」に対してあがく姿は、俺にとっては憧れなのかもしれないなとか思ってみた。でも、結局最後の白黒はどちらであれかまわないのは、自分であがいたり、他人がその結末を否定し、そこから連れ出そうとしていく限り、その経路が確かに残るからだと思う。その経路があれば、登場人物が与えられた、または与えた「話の意味」はより重みを増す。すでに何も改革的なことなど生み出さないはずのあがきが、確かなものになって登場人物に残る事がある。それが一番、俺にとっては大切なんだろうと思う。


 ……大分自分の定義を大雑把に書いてたわけですが、こんなんとか考えたのは、その話がそういう要素を含んでいた(でも実際は別の所に主眼があったけど……)からというのと、自分の中で考えた話はそんなの多いな。という事。
 なんていうかとりあえずあまりに感動したゆえの暴走みたいので書いてみましたが、何か変な風に書いてたらごめん。それじゃ。

P・S
 ギルティEXのほうは今日も休みます……くそう、上手く書く気になれない……