これからだ。

 今日とある授業を受けていたのですが、その中でマスコミのことが話題に登りました。そして先生は、日本のマスコミのやりかたは偏っている。ネタを撮るためだけにインタビューをするし、大きな事件を食い物にして、民衆の興味がなくなったらあっさりと切り捨てる。とおっしゃられました。それは多分、大学生なら誰もがほとんど同じ考えを持っていることだと思います。しかし、同時に先生は、マスコミとは社会の鏡だともいったのです。つまり、マスコミの方々が伝えるニュースというものは、結局の所我々が一番望んでいる形に編成されたニュースにすぎないのだと。そもそも、何故行き過ぎていたり、一見非効率的な報道行為をするのか。それはひとえに「そうすれば視聴率が取れるから」、つまり、それを多くの人々が結果的に望んでいるからに他ならない。そういった、例え真実とは限らなかったり、正当性が疑わしい情報でも、何も知らないよりはより早く、多く事件の事を知りたがってしまう。つまり、新聞でもネットでもテレビでも、そのニュースがやっていたら、つい見てその場で判断してしまう。それが今の日本全体の特性なのでしょう。
 一方、ドイツのマスメディアは、事件が起こったとき、最初はそれに対する大それた報道はせず、その後裁判にまで行ってから初めて、そこで提示された間違いない証拠や証言を元にニュース番組を制作するそうです。この方法ならば、マスメディアは過剰な思想や偏見に染まりきった、推測に近い報道をすることはありません。そしてこういった報道体制が実在しているという事は、「マスコミとは腐敗する運命にある職業なのではないか」という懸念を抱いていた自分には、正直嬉しかったです。
 そして、もう一つ嬉しかったのは、先生いわく、確かに今の日本のマスコミはダメだが、すこしずつよくなってきていると教えてくれた事でした。……これは関係ないことかもしれませんが、今回の件では場所が場所だったのと、容疑者が掲示板に犯行予告をしていたということからまたいわゆる「オタク」という単語を連発して視聴率をとりに来るかなと思っていたのですが、少なくともその時見させてもらったニュース番組では、「オタク」やそれにまつわる言葉は出てきませんでした。せいぜい参照に出てきたスポーツ新聞に「オタク」の聖地で、という文字が見えたくらいで、それにもコメントはなしでした。……もっとも、その他の面でやはり「視聴率取り」的な工夫や打算は見えていましたがね。しかし、これがさすがにここでオタク、という言葉を乱用するのは不謹慎だと少なくともこの局が思ってくれたのだったら、彼らにも少しは良心が残っているのではと期待できました。まあ、その他の要因があった可能性はおれの知識ではとても否定しきれませんが。
 とにかく、マスメディアが少しでも自制という言葉を覚えてきてくれているならそれは喜ばしい事であり、またそれ以上に、我々日本人が不確定な情報を断固求めないようにする風潮を広めていく事は、いずれ、正しい報道体制が生まれるためには要な事なのだと思いました。所詮彼らは視聴率のために番組やっているので、「そういう番組は見ないぞ」といえれば一番早いですからねぇ。