愛、ふるえる愛

 俺は今期、オンデマンド授業で「青年期の恋愛」についての授業を受けているのですが、その中で聞いた事によると、青年期の恋愛というものは、相手を自分のアイデンティティを維持するための鏡として利用してしまうことが多くなり、そうした恋愛は結局崩壊してしまうそうです。どういうことかというと、こうした場合は「自分は相手にとって必要とされている」ということに依存し、自分の存在意義を相手を通して確認してしまう事になるので、そうされている相手にとってはその負担が重くなって耐えられなくなる、ということらしいです。そして、そうした関係にならないように、と講義をしている先生が薦めた方法があるのですが、その一つが「相手以外に自分のアイデンティティのよりどころを見つけること」でした。つまり、「俺には野球がある」「私には弓道がある」などと考え行動しつつも恋愛関係を維持することが、相手に負担をかけないので望ましい恋愛関係を続けていく事につながるというわけですね。……でも、もし本当にそうなら、「私はこの人がいないとダメ」って思っているような関係よりも、「私はあの人を趣味と同じくらい好きだ」って思っているような関係の方がより円満な恋人関係をつづけられるのでは、っということになるわけですよね。……本気で思い、行動していることがむしろ悪くなるのなら、愛の深さとは難しいのだなぁ。
 まあ、先生が薦めたもう一つの方法として、「相手となるべく多くの経験を共有する」ことで、ここで俺的にいやな解釈をすると、「お互い他の人では替えがきかなくなる」ということで良い恋人関係を維持していけるということなので、一緒に旅行に行ったり、試合に出たりすればそうした問題もカバーできるのかもしれません。本当に恋しているのに、それが間違っているというのは悲しい話なので、そうした人々には頑張ってもらいたいですね。